設楽原古戦場いろはかるた
設楽原をまもる会
400年以上昔、設楽ヶ原で起こった織田・徳川連合軍と武田軍との戦いを48句のカルタで詠み表したのが 「設楽原古戦場いろはかるた」。
往時をしのび、戦跡や伝承を残していこう、と作られたもの。
い
家康が 本陣ここに 八剱山
徳川家康本陣跡
ろ
老将の言 勝頼は 封じたり
名高田前激戦地
は
はたぼこと 秀吉陣地の 名を伝う
羽柴秀吉陣地
に
日本の 戦史かえたる 設楽原
天正乙亥設楽原古戦場
ほ
掘りあてし 弾丸は 鉄玉鉛玉
火縄銃弾丸採集地
へ
平然と 首を渡す 美濃守
馬場美濃守信房の碑
と
樋田(といだ)にて 退路をたちし 設楽貞通
設楽越中守陣地
ち
治水にも つくせし昌胤 ここに死す
原隼人佐昌胤の墓
り
律義にも 塩瀬が残す 五味の首塚
五味与三兵衛貞氏の墓
ぬ
ぬかるみに 馬もしりごむ 連吾川
柳田前激戦地
る
留守の役 高坂弾正は 海津城
高坂昌澄の墓
を
雄々しくも 立ち腹さばく 甘利信康
甘利信康の墓
わ
わが主君(きみ)の 身がわりとげし 笠井肥後
瀧川助義・笠井肥後相討ノ地・橋詰さんばし跡
か
勘蔵は この地に死して 名を残す
山本勘蔵信供の墓
よ
吉川より 豊田藤助 先に立ち
鳶ヶ巣奇襲隊進路松山越
た
たぐいなき 騎馬隊倒す 三千挺
大宮前激戦地
れ
連吾より 浜田に続く 馬防柵
馬防柵左端
そ
そこかしこ 顕彰碑たてし 牧野文斎
牧野文斎碑
つ
土屋昌次 柵にとりつき 大音声
土屋昌次戦死の地
ね
ねんごろに まつり絶やさぬ 勝楽寺
勝楽寺戦没者慰霊場
な
内藤の 陣地も墓も 天王山
内藤修理亮昌豊の墓
ら
来援を せかじとつげし 鈴木金七
鈴木金七郎
来援を 見届け金七郎 機能する
む
村人は いくさをさけて 小屋久保
小屋久保
う
鵜の首を わたりて押し出す 竹田勢
橋詰さんばし跡
ゐ
井戸がわり 大宮川で 渇いやす
一重柵建設地
の
信長の陣 茶臼山に 歌碑もあり
織田信長戦地本陣
お
大松小松 信玄塚の 供養塔
信玄塚
く
首洗い 池は血色に 水濁る
首洗池
や
山県の最期 胴切りの松に 秘め
山県三郎兵衛昌景の墓
ま
守りぬく 城主の貞昌 二十一
信長賞詞地(コロミツ坂)
け
訣盃の跡 清井田に 清水わく
清井田訣盃の跡
ふ
ふしぎにも 蜂の大群 姿けす
信玄塚
こ
甲田の 地名あわれに 言い伝う
甲田
え
えんえんと 柵木岐阜より かつぎくる
馬防柵
て
手振りよく おどる酒井の えびす舞
織田信長本陣地
あ
赤禿に 勝頼本陣 進めたり
武田勝頼観戦地(才ノ神本陣)
さ
佐久間と馬場 丸山とりでの 攻防戦
丸山砦・丸山攻防戦跡
き
奇襲隊 広瀬を渡りて 鳶ヶ巣へ
広瀬の渡
ゆ
故ありて 昌純の墓は 小川路に
高坂昌澄の墓
め
冥福を 祈る武将の 慰霊牌
信玄祖師堂跡
み
三子山(みこやま)に 真田兄弟の 墓ならぶ
真田源太左衛門尉信綱の墓
し
信玄の ゆかりつくせぬ この地名
信玄塚
ゑ
絵図ひらき 軍議かさねし 極楽寺
織田信長本陣地
ひ
日は悲し 一五七五ぞと 武田七九
長篠役設楽原決戦場碑
も
モッセモッセ ヤーレモッセの 火おんどり
信玄塚
せ
先陣の 大久保兄弟 うって出る
大久保兄弟布陣跡
す
強右衛門 のろしをあげし 雁峰山
鴈峰山登り口
京
京めざす 武田の雄図 今悲し
勝楽寺前激戦地
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長篠設楽原の戦い
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