馬防柵・山碕多比良歌碑
新城市大宮字清水
設楽原の決戦
で、最強を誇る武田騎馬軍団の足を止めるために、織田・徳川連合軍が造った柵。
日本で初めて、組織的に鉄砲を使った戦いが繰り広げられ、これによって、この後の合戦の様相が一変した。
この柵の丸太は、織田信長が岐阜から設楽原へ行く兵士に一本ずつ持たせたものだという。
献歌碑
三千挺の鉄砲とどろく 天正三年五月二十一日 ここ設楽原
山碕多比良
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