信玄塚・石造閻魔大王  新城市竹広字信玄原552
設楽原の戦いで主戦場となった竹広村の住民達は戦いの後帰村し、知名武将をそれぞれの地に埋葬した。  残った多くの屍体を丘陵の1カ所に運び、大きな穴を2つ掘り、そこに両軍の戦没者16,000人を埋めて塚を築いた。 戦死者の多かった武田軍の武将を大塚に、戦死者の少なかった織田・徳川連合軍の武将を小塚に葬り、塚頂に印の松を植えて、大塚様、小塚様とあがめて弔った。 これが現存する「信玄塚」。
大塚の前には、峯田十光の歌碑 がある。 そして、その右手にある石像閻魔大王は、空道和尚の作と言われ、 市指定文化財 となっている。
えんま堂の前にある石柱は道標にもなっているが、何故かは解らない・・・
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【 2017年06月03日更新 】

(1)

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(3) 小松と小塚

(4)

(5) 観音石仏

(6) 金光明最勝王経碑

(7)

(8)400年祭供養塔

(9) 山梨県宝篋印塔と陣歿者慰霊塔碑

(10) 長篠役軍陣歿将士分骨碑 : ”韮崎市” 文字が読み取れる

(11)福来寺、廣全寺の前亡僧侶の墓

(12)福来寺4住持墓

(13)大松と大塚

(14) 福来寺4住持墓

(15)二代松歌碑

(16)地蔵石仏

(17)設楽貞政供養塔は地蔵石仏の背後にある

(18)えんま堂

(19)

(20)石像閻魔大王
以下 2024年3月14日撮影

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何故ここに道標がある?

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