織田信長戦地本陣・織田右府の歌碑・茶臼山経塚・茶臼山稲荷・茶臼山公園  新城市牛倉字城山
安土桃山時代の天正3年(1575年)5月、織田信長は 設楽原の戦い に備えて上平井の 極楽寺 で軍議を開き、武田軍の騎馬隊攻略の作戦を練った後、ここ 茶臼山に本陣を移し、すぐ北側に位置する牛倉のはたばこに側近の 羽柴秀吉 を、最前線の弾正山に 徳川家康 を配置して総指揮をとった。 本陣跡の広場には、信長の歌碑がある。  きつねなく 声もうれしくきこゆなり 松風清き 茶臼山かね 
今までは茶臼山公園の方から登って来たが、新東名高速道路が出来てからは 長篠設楽原パーキングエリア から行けるように きれいな道が整備されている
このページを印刷   前のページへ戻る   表紙へ戻る
【 2016年08月03日更新】

(1)長篠設楽原PAができるまでは、ここに看板があったが・・・

(2)今は入口の看板は無い・・・・【 2016年6月30日撮影 】

(3)山住神社入口

(4)茶臼山公園

(5)

(6)

(7)茶臼山公園の先にある駐車スペースに車を停める。

(8)左下に見えるのは山住神社。ここを真っ直ぐに行ってはダメ!

(9)

(10)神社の手前を右に入る。 

(11)ここを進むと・・・・

(12)鳥居が見えてくる

(13)茶臼山稲荷社 ここから 写真(17)へ飛ぶ

(14)パーキングエリアからは、きれいな道ができている

(15)

(16)

(17)経塚の上に茶臼山稲荷社がある

(18)

(19)

(20)

(21)織田右府の歌碑

(22)

(23)

(24)本陣跡からパーキングエリアを見下ろす

このページのコメントを送る   前のページへ戻る   表紙へ戻る   このページのトップへ


無断で当サイトの写真・地図の複製を禁じます