甘利郷左衛門信康の碑・甘利信康の墓・滝川屋敷跡  新城市八束穂
甘利郷左衛門尉信康は、父が甘利虎泰であり、兄が甘利左衛門尉昌忠である。
長篠・設楽ヶ原の戦い(1575年)では左翼隊に属し徳川軍に対した。勝楽寺前 から竹広表へと奮戦して、中央隊とも力を合せて第3の柵をも破る勢いであったが、武田軍が総崩れになると、信康は 天王山 までじりじりと押し戻され、この辻辺りで立ったまま無念の切腹をしたという。

尚、ここは安土桃山時代の天正18年(1590年)以降、池田輝政 の家臣・滝川惣八 が居住した屋敷(柳田村古屋敷)跡でもあったという。
このページを印刷   前のページへ戻る   表紙へ戻る
 

(1)

(2)

(3)

(4)

このページのコメントを送る   前のページへ戻る   表紙へ戻る   このページのトップへ


無断で当サイトの写真・地図の複製を禁じます