コロミツ坂(信長賞詞の地)
新城市有海
長篠・設楽原の戦い
が終わった翌22日、織田信長は
長篠城
を死守した長篠城主 奥平貞昌 を有海の小呂道(コロミツ坂) に呼び寄せ、その戦功をたたえ、杯と信長の「信」の一字を与えた。以降、は奥平貞昌は奥平信昌と名乗る。
また、徳川家康 からは名刀 般若長光を授けられ、家康の娘である亀姫 を娶らすと約束され、翌年、信昌は
新城城
を築いて亀姫を娶り、徳川の譜代大名への仲間入りとなる。 この時、貞昌は若干 21歳。 亀姫はのちに
大善寺
を建立、ここに母の墓碑を建てる。
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