八幡砦(八幡村城)跡
豊川市八幡町東赤土
牛久保牧野氏の家臣・
板倉弾正重定
が、東三河へ進出してくる
松平元康(徳川家康)
に備えた砦。
永禄5年(1562年)6月、
佐脇砦
の三浦左馬助義就、
二連木城
の戸田康重、
牛久保城
の
牧野保成
らと赤坂で合戦したが、松平氏に滅ぼされ落城。
城跡は、東三河の城(郷土出版社発行)では、
八幡宮
の道路を挟んだ東側と記されており、
三河国分寺塔跡
の説明板には、ここに土塁として土が盛られたとある。そして、豊川市の 八幡砦跡発掘調査 、「東三河の史跡めぐり」では、八幡宮の北側と記されている。
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【 2020年06月21日撮影 】
(1)八幡宮
(2)八幡宮の北側は住宅地
(3)左側は西古瀬川
(4)
(5)
(6)八幡宮の東側
(7)三河国分寺塔跡があり
(8)八幡宮側の道路沿いに土塁跡が残っている
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