佐脇城跡   豊川市御津町下佐脇郷中             市指定史跡
南北朝時代に佐脇氏によって築かれ、戦国時代には三河に進出した今川氏の勢力下に入り、今川氏真の家臣三浦左馬助義就が城将となっていたが、永禄5年(1562年)松平元康〔家康〕が奪い佐脇安信を城主とした。 その後、三河一向一揆の最中に今川氏が奪還したが、永禄7年(1564年)に再度松平氏が奪い返し、佐脇刀祢太夫(とねだゆう)を城主とした。 しかし、天正3年(1575年)の長篠の戦いで討死し、廃城となる。 現在は、この地も新興住宅街となって城跡の面影は失われ、公園の中に碑が残るのみとなっている。  佐脇刀祢太夫の墓 は、ここから少し南東に行った行者堂の横にあり、佐脇刀祢太夫邸(青津村城) は、道の駅・田原めっくんはうす の近くにある。 
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