戦国時代駿遠三の大名今川氏の幕下として東三に覇をなした 牧野古白(成時)一族の 牧野成勝 及び 牧野出羽守保成 が、室町時代の 享禄2年(1529年)今橋城主(のちの吉田城 主)牧野信成 の命を受け、一色城 に代わる新たな居城として築城したといわれている。
牛久保城2代目城主 牧野成定 は、晩年徳川方に属し、3代康成は、天正18年(1590年)家康に従って関東に下り、上州(現 群馬県前橋市)大胡(おおご)の城主となる。 その後は、池田輝政の家臣、荒尾平左衛門が城主として入城したが、慶長5年の関が原の戦い後、池田輝政が播磨姫路に移ると共に、牛久保城は天領
となって代官所が置かれ、元禄13年(1700年)に廃城。 |