昔、山から薪炭やまぐさ、木材などを採集する権利のことで、金割・灰野両村と広石・西方など九ヶ村の間で争いが起こり、広石村の庄屋 平野源蔵 と、組頭の 竹本庄右衛門 の二氏は九ヶ村代表として金割・灰野側と対抗。当時の代官で、八幡町の 八幡大池 や一宮町の 東上分一番所 を造った 鈴木八右衛門 に直訴して重罪となり、寛文9年(1669年)10月8日、現在の 座王神社 前で打首の刑に処せられた。その後、明治27年(1894年)に共有山を各村に分割する盟約が結ばれ、この問題は解決したという。2人の墓は広石の大日墓地にあり、座王神社前には明治27年(1894年)に建立された
共有山分割記念碑 が残され、昭和58年(1983年)には、御津神社に 義人 平野源蔵・竹本庄右衛門顕彰碑 が建てられている。 |