奥平仙千代の墓  新城市門谷笠川
仙千代(10歳)は作手 亀山城 主 奥平貞能の次男で、元亀2年(1571年) 貞能と長男貞昌(後の 長篠城 主奥平信昌) が武田信玄に降伏した時、萩城 主奥平周防勝次の次男 虎之助(13歳)、岡崎の日近城主奥平貞友の娘 於フウ(13歳)と共に人質として甲斐に送られた。
天正元(1573年)になって貞能父子は武田氏に背いて徳川家康 についたので、武田勝頼 は 奥平仙千代(仙丸)をここ金剛堂前で処刑した。この時、仙千代は元服前の13歳、虎之助 16歳、於フウ 16歳の若さだった。     鳳来町の伝説と民話「仙千代丸の祠」より
虎之助の墓 はここから県道32号を少し南下した所にあり、於フウの墓 はここから少し北に進んだ 鳳来寺小学校 の手前左にある。
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