於フウの墓  新城市玖老勢地造入
奥平貞友の娘 於フウ(13歳)は、室町時代の元亀2年(1571年) 作手亀山城 主奥平貞能と長男貞昌(後の 長篠城 主奥平信昌) が武田信玄に降伏した時、貞能の次男 仙千代(10歳)と、萩城 主奥平周防勝次の次男 虎之助(13歳)と共に人質として甲斐に送られた。
天正元年(1573) 4月 武田信玄が病死すると、奥平貞能は再び徳川氏に帰参したため、激怒した武田勝頼 は、9月21日、山県昌景 に命じて奥平氏の人質を処刑した。 この時 於フウ 16歳、虎之助 16歳、仙千代 13歳の若さだった。
ここから更に下に降りた所には、於フウ処刑の地 がある。
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【 2014年05月22日更新 】

(1)道路脇の「長篠合戦のぼりまつり」の旗が目印

(2)ここから下へ降りて行く

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(8)この下 処刑の地

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