萩城址  豊川市萩町下の坪
室町時代の天文・永禄年間(1532年~1569年)、標高149m、比高30mの丘陵端に、奥平主馬允によって築かれた城。
作手奥平家の 作手亀山城 奥平貞俊 は二代・貞久に家督を譲り、貞久の四男・主馬允がこの地を領し、萩奥平家の祖となる。
三代の 奥平周防守勝次 は、天正 3年 (1575年)4月21日長篠の戦い」で戦功を挙げるが、七代正俊で断絶となる。
奥平周防守の墓は、善住寺 にある。
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【 2005年01月05日撮影 】

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