長篠の戦で功績を挙げた長篠城主奥平貞昌は、信長から信の一字を与えられて信昌と改名。 徳川家康からは長女亀姫(後の盛徳院)を娶り、天正4年(1576)9月、新城城を築城し、長篠城 から移り住んだ。 これが「しんしろ」の市名の由来になったとされている。
慶長5年(1600)関ヶ原の戦い後、池田輝政が姫路へ移ると共に新城は天領となるが、慶長11年(1606)水野分長が入城し、正保 2年(1645)水野氏が安中へ転封すると再び天領となる。 その後、慶安元年(1648)
菅沼定実が7000石で入城して明治維新まで続く。 市・指定史跡
菅沼定実は居館に近い豊川の畔に桜の木を植え、これが桜淵公園 の始まりという。 |