飛鳥時代、天武天皇の皇子が 672年1月7日 の壬申の乱において赤坂の守備に就いた時、椿屋敷の住人が燈明の油を献上したことから御・油屋の商号を下賜され、その後、この辺りを御油と呼ぶようになったという・・・
この時から幾度となく枯渇を繰り返して、御油の変遷と繁栄を見続けてきて、御油地名の証となる椿の樹を 「御神木」としてここに祀ったもの。
御油小学校 の東側、東林寺 の裏にあるが、民家と民家の間の狭い所にあるので、注意して探さないと分からない・・・・
また、この辺りに 御油城 があったというが、遺構は全く残っていない。 |
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