東林寺・飯盛女の墓
豊川市御油町今斉28
浄土宗の寺院で、山号は招賢山。
室町時代中頃の永享年間(1429年~1441年)に瀧月日蔵和尚によって創建されたという。 本尊の阿弥陀如来は、牛若丸と契りを結んだ浄瑠璃姫の念持仏と言い伝えられている。
三河の領主であった徳川家康も2回立ち寄った所で、 本堂左手の墓地の中には、御油宿場で遊女として働き自殺を図った飯盛女たち(ばい21才、くに22歳、たま25才、とよ19才)の墓がひっそりと祀られている。
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【 2014年08月21日更新 】
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(3) 2019年9月に訪れたら、本堂が新しくなっていた~
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(7)飯盛女たちの墓
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