城の腰城跡  豊川市萩町二反田
室町時代の永禄年間(1558~1570年)、作手 亀山城 主奥平氏の一族である 萩城奥平周防守勝次 が標高84m、比高6mの丘陵地に築城。
1575年の「長篠の戦い」の時、勝次は 長篠城 主奥平信昌と共に長篠城に籠城して戦功を挙げるが、その後、七代正俊で断絶となる。
奥平周防守の墓は、善住寺 にある。
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【 2005年09月13日撮影 】

(1)赤坂町から来ると左手に標柱がある

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(3)ここを右上に上って行く(赤坂の方から来ると左鋭角に曲がる)

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