力寿姫の墓(上臈石)
豊川市赤坂町
力寿姫
は赤坂の長者・宮路弥太郎長富の娘で、三河国司を務めた
大江定基
に愛されたが、ほどなく病により亡くなる。 大江定基は力寿姫の菩提を弔うために
長福寺
を建て、裏手の高台の見晴らしの良い所に墓を建てた。 江戸時代になってからは、力寿姫と大江定基のロマンスを伝えようと、戝賀町に
力寿の碑
を建て、そこに桜の木を植え「力寿の桜」 と名付けられて今でも春には美しい花を咲かせる。 また、大江定基が亡き力寿姫の菩提を弔うため、愛染池畔に祀ったと伝えられている愛染明王尊像は
西明寺
にあり、愛妾力寿 をモデルに自から彫刻して、本尊の弁財天としてお祀りしたのが
三明寺
だという。
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【 2014年10月30日更新 】
(1)宮道天神社に向かう道の右側にあるここの坂を上って行く
(2)墓地の横を通って・・・
(3)山の中に入って行く
(4)どんどん進む
(5)石仏が出迎えてくれる
(6)更に進む
(7)何やら標柱が見える
(8)
(9)
(10)上臈石(女郎石)
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