力寿の碑・力寿の桜  豊川市財賀町栃ノ木
力寿姫 は赤坂の長者・宮路弥太郎長富の娘で、美しく歌舞伎に優れていた。三河国司を務めた 大江定基 に愛されたが、ほどなく病により亡くなる。 この碑は力寿姫と大江定基のロマンスを伝えようと 江戸時代 の安永5年(1776年) に建てられたもの。
力寿姫の菩提を弔うために建てられた寺、長福寺 は赤坂町にあり、裏手の墓地には 力寿姫の墓 が建てられている。
春には桜の花が一層趣を添えてくれる。
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 【 2011年04月10日撮影 】

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