永禄3年(1560年)、 桶狭間の戦いで 今川義元 が没すると、部下であった松平元康(徳川家康)は岡崎城 で自立し、東三河に侵略してきた。 これに怒った今川氏真は、永禄4年(1561年)4月、 吉田城 主の小原肥前守鎮実に命じて、吉田城に人質としていた松平側の武将の妻13名を 龍拈寺 門前で処刑し、寺から離れた小池の中野新田(富本町)に埋葬した。これが後に十三本塚と呼ばれ、道標を兼ねた13人の人質の霊を慰める供養塔が建てられている。
そして、近くの小池町には福岡地蔵尊が祀られており、ここには13人の人質の名前が記されていて、奥三河の山家三方衆である長篠の菅沼氏、田峰の菅沼氏、作手の奥平氏の妻の名前もある。 |