室町時代、三河渥美郡の領主だった 一色七郎政照 は、1467年~1477年「応仁、文明の乱」の間、京都へ出陣し戦い続け、その間に大津(豊橋市老津)の 高縄城 主 戸田宗光 の渥美攻略で領地を失い、和睦を経て室町時代の文明11年(1479年)、ここに隠居屋敷を築いたが、2年後の文明13年(1481年)4月、病にて没。 死後、当時の
田原城 主戸田宗光が菩提のために宝憧寺を建てたが、後に廃寺となる。
昭和40年(1965年)までここに一色七郎の墓があったが、土地造成のために 長興寺 に移され、屋敷跡は石碑と説明板があるのみで、遺構は無い。一色屋敷は 田原町にもある ため、ここの屋敷を 一色屋敷Bとする。 |