宗堅寺・菅沼家歴代の墓・信玄砲
新城市宮ノ前48
曹洞宗の寺院で山号は幸雲山、
豊鳳二十一弘法大師12番霊場
。 慶安元年(1648)に
菅沼定実
が丹波亀山から
新城城
に移封の時にこの地に移したもので、菅沼家の菩提寺でもあり、墓地には初代定実から11代定長までの菅沼家歴代の墓がある。 昭和39年5月9日
市指定文化財
更に、墓地の奥には咳の神様がお祀りされている。
新城昔ばなし「
咳の神様
」
また、武田信玄 が
野田城
を攻撃した時に、城内から聞こえる笛の音に誘われて出てきた信玄を撃ったと伝えられている鉄砲(信玄砲)が保存されており、 この時、武田信玄が狙撃された場所は豊島の
法性寺
に残されている。
新城の昔話「
明笛のひびき
」
このページを印刷
詳しい地図はここをクリック
前のページへ戻る
表紙へ戻る
【 2011年07月23日撮影 】
(1)
(2)
(3)
(4)
(5)
(6)弘法大師像
(7)菅沼家歴代の墓
(8)
(9)
(10)咳の神様
(11)
(12)武田信玄が狙撃された場所 は法性寺にある
このページのコメントを送る
前のページへ戻る
表紙へ戻る
このページのトップへ