法性寺・武田信玄が鉄砲で撃たれた場所・野田城戦死病没者慰霊供養塔  新城市豊島字竜谷4 16K
法性寺(ほっしょうじ)は、野田城 のすぐ西側にある曹洞宗のお寺。
安土桃山時代の元亀4年(1573年)、武田軍が 野田城 を包囲した折、武田信玄 は毎晩野田城からながれてくる見事な笛の音を、この場所に出て聞きほれていた。 そこを野田城内から菅沼定盈配下の鳥居半四郎の鉄砲で撃たれ負傷し、その傷がもとで信玄はまもなく亡くなったと伝えられる(看板資料より引用)。   狙撃された場所は、境内左手の石段を登って行った所にあり、この時使用した鉄砲が宮ノ前の 宗堅寺 に保存されている。また、法性寺の山門は、野田城 の門を移築したもので、その傍には、野田城戦死病没者慰霊供養塔 が建てられてある。
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【 2013年10月01日更新 】

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(2) 野田城の門を移築した山門

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(4) 野田城戦病歿者慰霊供養搭

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(10)  武田信玄を撃ったという鉄砲は宗堅寺にある

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