大手門通り
新城市西入船
「新城市役所北」交差点から県道439号能登瀬新城線「中町」交差点の間の通りで、昔、ここに
新城城
の大手門があったことから、昭和60年に「大手門通り」と名付けられたという。
因みに、ここより西にある
大善寺
前の通りは、
徳川家康
の長女であり新城城主の妻であった亀姫の「亀姫通り」 という。
このページを印刷
前のページへ戻る
表紙へ戻る
【 2023年06月16日撮影 】
(1)新城市役所から北を望む
(2)
(3)
(4) 写真をクリックすると、拡大表示されます
このページのコメントを送る
前のページへ戻る
表紙へ戻る
このページのトップへ
無断で当サイトの写真・地図の複製を禁じます