鳴子網架設地
新城市有海
天正3年(1575年)
の
長篠の戦い
において、
武田勝頼
は1万5千人を率いて
長篠城
を囲み、8日から14日にかけて猛然と攻めたが、
奥平貞昌
は500人の城兵で対抗し、城はなかなか落ちなかった。そこで武田軍は川に鳴子網を張って脱出兵を厳しく見張り、兵糧攻めの作戦に出るが、5月14日、
鳥居強右衛門
は城主奥平貞昌の命令を受けて夜半に城を抜け出し、川中の鳴子網を潜って豊川を下り、4Km下流の広瀬に上陸、雁峰山で「脱出成功」の狼煙を上げた。
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(1) この牛渕橋(うしぶちばし)を渡ると県道69号に出る
(2)
(3)
(4) 牛渕橋の下には高岩弁財天が祀られている
(5) 鳴子網を潜って豊川を下り、広瀬に上陸し・・・・、
(6)雁峰山で「脱出成功」の狼煙を上げた
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