鳥居強右衛門勝商上陸の地
新城市川路天神
天正3年(1575年)5月14日、武田軍が
長篠城
の総攻撃を仕掛けたため、岡崎の
徳川家康
に援軍を 頼むための使者として志願した
鳥居強右衛門
は、夜半に野牛門から豊川へ降り、川中の
鳴子網
を掻い潜って 4㎞程下流の広瀬に上陸したのがこの場所。
そして、ここから
雁峰山
で脱出成功の狼煙をあげ、作手を経て岡崎までの道をひた走った。
すぐそばには、
酒井忠次
が
鳶ヶ巣山
を奇襲する際に豊川を渡ったという
広瀬の渡し
がある。
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【 2015年06月07日撮影 】
(1)「広瀬の渡し」 のいろはかるたの前を通り・・・
(2)旧渡舟場の横を過ぎて・・・・
(3)この道を進むと・・・・すぐに・・・・・
(4)標識が見えてくる
(5)
(6)鳴子網架設地
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