徳川家康物見塚・八剣山陣所(やつるぎやま)  新城市竹広
天正3年(1575年)5月18日、武田軍に包囲された長篠城 を救うために、家康は信長と共に設楽ヶ原に出陣、八劔神社に本陣 を置き、武田の騎馬隊に対して 馬防柵 を造った。 戦が始まると、武田軍が一望出来るここ八剣山の物見塚へ移り、陣頭指揮指揮をとった。
すぐ上には、断上山古墳 がある。
このページを印刷   前のページへ戻る   表紙へ戻る
【 2013年10月15日更新 】

(1)

(2)

(3)

(4)

(5)

(6)物見塚より戦場を見下ろす

このページのコメントを送る   前のページへ戻る   表紙へ戻る   このページのトップへ


無断で当サイトの写真・地図の複製を禁じます