石田城跡
新城市石田字西金国
安土桃山時代の天正18年(1590年)
吉田城
主
池田輝政
の家老で
新城城
主
片桐半右衛門正義
が野田川と豊川の合流点北に築いたとされる。
慶長5年(1600年) 関ヶ原の戦い後、池田輝政の姫路52万石の転封に伴い片桐氏も同行、石田城は廃城となる。
土塁には標柱が建てられているが、文字は全く判読できない。
このページを印刷
前のページへ戻る
表紙へ戻る
【 2017年02月04日更新 】
(1)
(2)
(3)
(4)
(5)
(6)
前のページへ戻る
表紙へ戻る
このページのトップへ
無断で当サイトの写真・地図の複製を禁じます