宮路寺跡・草壁皇子の墓
豊川市御津町金野字横手35
草壁皇子
は飛鳥時代の持統3年(689年)、28歳の若さで亡くなった為、母親の持統天皇が宮路寺を建てて葬ったという。しかし、兵火のために寺は全焼し、附近一帯は焼野原となってしまったので、この地域が「灰野村」という地名になったと云う。
飛鳥時代の
白鳳元年(672年) 7日
・壬申の乱の時、皇子は
宮路山
の嶽ケ城で守備にあたっていたので、草壁皇子は
宮道天神社
の祭神となっている。
寺跡は
白山神社
に隣接してあり、草壁皇子の五輪塔が残されてある。
このページを印刷
前のページへ戻る
表紙へ戻る
【 2024年02月09日撮影 】
(1)白山神社の左隣
(2)宮路寺跡
(3)
(4)瓦の破片が残っている・・・
(5)草薙皇子の五輪塔
(6)これは何?
前のページへ戻る
表紙へ戻る
このページのトップへ
無断で当サイトの写真・地図の複製を禁じます