豊川稲荷 の裏には、「海軍工廠戦没者供養塔」がある。
昭和20年8月7日、米軍のB-29戦闘機による 豊川海軍工廠 爆撃で亡くなった2,500人以上の人々の冥福を祈ろうと、豊川工廠従業員生存者の手により建てられたもの。 塔中には戦死者名簿と工廠の土を納め、台座周囲には戦死者名を刻んだ石版が組み込まれている。 |
● 豊川海軍工廠
豊川海軍工廠は、海軍兵器の生産を目的として、昭和13年に旧宝飯郡豊川町・牛久保町・八幡村にまたがって建設することが決定され、昭和14年12月15日に開庁しました。機銃及び弾丸や艦船で使用する測距儀、双眼鏡、射撃装置などを生産し、機銃の生産に関しては日本最大の規模で、東洋一の兵器工場といわれました。工廠の発展は、人口の増加や各町村の結びつきを強めることとなり、豊川市の誕生・発展に大きな影響を与えました。しかし、昭和20年8月7日の米軍B29爆撃機などによる空襲で壊滅的な被害を受け、2,500名以上の人が犠牲となりました。
(豊川海軍工廠展より) |
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