三河国分尼寺跡  豊川市八幡町忍地105 市指定史跡
奈良時代の天平13年(741年)の聖武天皇の詔勅によって、全国60余りの国に国分寺とあわせて国分尼寺を建てられたものと考えられている。境内は約150m四方で、現在、発見されている国分尼寺の中では最大のもので、金堂の礎石が良い状態で残っており、中門、複廊、南大門の礎石も発見されている。
国分尼寺の瓦を焼いたという 古窯跡 は、赤塚山にある。 
国分尼寺跡の詳しいことは、向かい側にある 「三河天平の里資料館 」で知ることが出来る。
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(8) 多機能トイレは三河天平の里資料館の横にある

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