登屋ヶ根城(関口城)跡  豊川市長沢町番場
鎌倉時代の永仁年間(1293年~1299年)頃、標高100m、比高15mの丘陵地に番場太郎致由が築いたとされているが、諸説あり定かでない。
1561年の今川氏と松平氏の戦の時に、今川氏の武将で 長沢城 代糟谷善兵衛と小原藤五郎がこの城を守って善戦したが、永禄4年 松平元康(徳川家康)に攻められて駿河に逃れる。 この時、徳川四天王 の一人、本多平八郎忠勝 は初陣だったという説がある。
すぐ近くには、関口一族の墓 といわれる五輪塔がある。
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