武田準平 は江戸時代の天保9年(1838年)11月24日、山吉田村(現新城市)の医師の家に生まれ、15歳から江戸で医学の修業をして、安政6年(1859年)に郷里三河(愛知県)で開業。明治12年(1879年)には県議会に当選、初代議長となる。 明治14年(1881年)の
宝飯中学校 設立に尽くしたが、明治15年(1882年)1月2日、刺客におそわれて死去、享年45歳。
昭和3年(1928年)、国府の村人が翁の徳を慕って 弘法山 山頂の見晴らしの良い所に、高さ4.4mの碑を建てたが、後に、この場所に市の施設・サン・シティーが建てられ、翁の石碑は現在の場所に移された。 その後、サン・シティーは取り壊されている・・・・・ |