およそ一千年前、菟足神社 には人身御供があり春の大祭の初日にこの街道を通る若い女性を生贄にする習慣があったと伝えられている。
ある年のこと、贄狩りに奉仕する平井村の人の前を若い女性が故郷の祭礼と父母に逢う楽しさを胸に秘めて、暁の街道を早足に通りかかり橋の上まで来た。みればわが子である。「ああ、いかにすべきか」
と苦しんだが、神の威光の尊さに「子だが止むを得ん」 と、遂に生贄にして神に奉った。それからこの橋のことを、子だが橋と呼ぶようになったということである。
この橋はかって東海道に架かっていたが現在、橋はない。 |