栄泉(栄川の泉) 跡と栄泉社  豊橋市花田町斉藤48
吉田三名水とは、江戸時代の茶人・ 山田宗徧 が愛用した、栄川(えいがわ)の泉、呉竹の井(正林寺)、御坊の井(豊橋別院)をいうが、現在はいずれも残ってはいない。
この内、「栄川の泉(栄泉)」は 羽田八幡宮 の北側にあったが、昭和15年(1940年)に県道が開設されたことによって取り壊され、その場所に、平成20年2月に石柱が立てられている。
そして、泉に建てられていた石祠(栄泉社)は、北側町公民館境内の一角に祀られている。
このページを印刷   前のページへ戻る   表紙へ戻る
【 2021年06月25日撮影 】

(1)この信号機の根元にある。右の建物はイチビキ

(2)

(3)

(4)
栄泉社(栄川の泉祠)は北側町公民館の一角にある 【 2021年3月20日撮影 】

(5)

(6)

(7)

(8)

前のページへ戻る   表紙へ戻る   このページのトップへ


無断で当サイトの写真・地図の複製を禁じます