戸田宣光之墓  豊橋市岩崎町字森中
二連木城戸田宣光 は今川方に属していたが、のちに今川義元が桶狭間の戦いで織田信長に討たれると、宣光の跡を継ぎ二連木城主となっていた 戸田重貞 は今川義元嫡男・今川氏真から離反し、徳川家康に従った。
その後、11代150年以上にわたり松本城主を務め、信濃松本藩最後の藩主で戸田松平家の松平光則(みつひさ) によって、二連木戸田家の領地であるここ岩崎の地に建てられたという。 石碑には、「丹波入道惟馨全香墳跡」の碑銘と宣光の略歴を記してある。
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【 2014年02月24日更新 】

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(7)丹波入道惟馨全香墳跡

(8) 戸田宣光の二連木城

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