加治砦(加治村古城)跡  田原市加治町取手
室町時代の 永禄7年(1564年)、徳川家康の臣・本多広孝 が 今川軍の 田原城 を攻める為に築いた砦。
この時、徳川家康は 長仙寺 を本陣としている。
田原城を陥落させると、その恩賞に家康から田原城を与えられ、以後、家康の関東入りまで田原城主となる。
しかし、現在は殆どが住宅地となり、遺構らしきものは残っていない。 ただ、取手(砦)、北取手、東取手、西砦、二の丸などの字名は残っており、所々に土塁のようなものが見られるが、これは、果たして如何に・・・?
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【 2020年06月20日撮影 】

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