一筆啓上発信の地
新城市竹広162
「
一筆啓上、火の用心、お仙泣かすな、馬肥やせ
」 は、日本一短い手紙と云う事で知られているが、これは徳川家康の家臣・本多重次が陣中から妻に送ったもの。 この手紙は竹広にある東郷中学校の
平成の馬防柵
のある辺りから、天正3年(1575年)5月に送られたものだという。
ちなみに、「
お仙
」 は後に越前
丸岡城
の城主となり、現在の福井県坂井市
丸岡町
には、「
一筆啓上日本一短い手紙の館
」がある。
そして、新城消防署には
「
一筆啓上、火の用心
」の碑
がある。
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【 2023年02月14日撮影 】
(1)東郷中学校の校庭の南端にある
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