鳥居強右衛門 は、物慣れた地元の武士で水練達者な 鈴木金七(鈴木金七郎重正)と二人で、天正3年(1575年)5月18日深夜、川中の 鳴子網 を潜って 長篠城 を脱出し、翌19日、岡崎の織田・徳川連合軍に救援を求めに向かった。 鳥居強右衛門は長篠城に戻る途中で捕えられ磔死するが、鈴木金七は戻らずに岡崎に留まったらしい。 その後、武士をやめて作手村田代に帰農したが、作手
亀山城 主となった松平忠明 は金七を訪ね、二百石の禄を与えて往年の労をねぎらったとか・・・。
鈴木金七の墓 は作手の田代地区にある。 |
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