鈴木金七夫妻の墓
新城市作手田代
長篠設楽原の戦いで、
鳥居強右衛門
と二人で
長篠城
を脱出して、岡崎の織田・徳川連合軍に救援を求めに向かった
鈴木金七(金七郎重正)
は、後に作手田代に帰農し、今でも鈴木家は存続しているという。
鈴木金七郎重正の墓は、県道437号(作手清岳新城線)から大田代地区に向かい、大田代のバス停を過ぎて数m先を左に入った山の中腹にある。
鈴木金七誕生の地
は、富永地区にある。
このページを印刷
前のページへ戻る
表紙へ戻る
【 2014年05月09日撮影 】
(1) 大田代のバス停を過ぎて、数メートル先のここを上って行く
(2) 矢印の所から山の中に入って行く
(3) ここを上って行くとすぐに・・・
(4) 右手に墓石が見える
(5)
(6)
(7)
(8)鈴木金七誕生の地 は、富永地区にある
このページのコメントを送る
前のページへ戻る
表紙へ戻る
このページのトップへ
無断で当サイトの写真・地図の複製を禁じます