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長篠設楽原の戦いで、鳥居強右衛門 と二人で長篠城 を脱出して、岡崎の織田・徳川連合軍に救援を求めに向かった鈴木金七(金七郎重正)は、後に作手田代に帰農し、今でも鈴木家は存続しているという。
鈴木金七郎重正の墓は、県道437号(作手清岳新城線)から大田代地区に向かい、大田代のバス停を過ぎて数m先を左に入った山の中腹にある。
鈴木金七誕生の地 は、富永地区にある。 つくで百話「 鈴木金七郎重正」 |
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(1) 大田代のバス停を過ぎて、数メートル先のここを上って行く |

(2) 矢印の所から山の中に入って行く |

(3) ここを上って行くとすぐに・・・ |

(4) 右手に墓石が見える |

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(8)鈴木金七誕生の地 は、富永地区にある |