馬場美濃守信房戦死の地
新城市出沢
馬場美濃守
は、
天正3年(1575年)
設楽原の戦い
の橋詰殿戦で敗走する主君
武田勝頼
を助けながら勇敢に戦い、勝頼が無事に豊川を越えて落ち延びていくのを見届けた後、石碑のそばにある 「緒巻桜」 の下で、原田直政(塙直政)の家臣・河井三十郎に自ら首を差し出し戦死した。
馬場信房の首を埋めたという墓
は
長篠城
近くにある。
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(1)標識は道路沿いにある
(2)
(3)
(4)
(5)標識の所から少し北上すると、左手にこの登り口がある
(6)今では登り口にこの標識がある。【 2016年8月4日撮影 】
(7)ここを進むと
(8)右手にふぢう桜の石柱があり
(9)その上の方に
(10)馬場美濃守討死之地の石柱がある
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