宇利城跡  新城市中宇利字仁田 県・指定史跡
室町時代の文明年間(1469年~1487年)に 熊谷兵庫守重実 が築城。
享禄3年(1530年)11月4日、松平清康(家康の祖父)は三千余りの軍勢を率いて東三河をめざし、多くの城主は清康に従ったが、宇利城主 熊谷実長 はこれに従わなかったので、松平勢は 野田城 主菅沼定則 を案内として東上(一宮町)で豊川を渡り、宇利城 へ向けて攻撃を開始、城主の実長は裏山伝いに落ち延びた(宇利城の戦い)。 この時、松平勢の本陣となったのが 冨賀寺 と言う。 そして、熊谷実長を討ち取った戦功により宇利城を賜った 近藤満用の墓 も冨賀寺 にある。
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【 2018年10月20日撮影 】

(1)中宇利の交差点の角に駐車場がある

(2)この道順で歩く。 城跡まで30分程。

(3)前方の山の上に宇利城趾がある

(4)ここから入る

(5)写真(2)の説明看板

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(7)写真(2)の矢印看板

(8)ここから山を目指す

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(10)所々に案内標識がある。迷うことはない。

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(12)この日はアチコチに倒木が進路を妨げる

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(15)本丸かと思ったら…

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(19)更に上へ登る

(20)井戸曲輪

(21)また登る

(22)僅かに街並みが見下ろせる

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(24)やっと本丸跡に到着

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(29)熊谷備中守実長碑

(30)堀

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