布里城(栗峯城)跡
新城市布里字栗峯
菅沼忠道によって築城されたというが年代は定かではなく、後に
田峯城
の支城として今川方だった
菅沼定直
が居城した。
室町時代の弘治元年(1555年) 田峯城主・
菅沼定継
が作手の
亀山城
主
奥平貞勝
と共に
今川義元
に背いたため、
弘治2年(1556年)5月
に戦となり、織田方の奥平貞勝は今援軍に敗れて降伏、菅沼定継は菅沼一族の中で孤立し、田峯城に逃れることなくここ布里の地で自刃した(布里の戦い)。
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【 2013年04月04日撮影 】
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