富沢の中ほどの沢には、昔、らんかんのついた木の橋がかかっていました。 この橋は、いくら直してもらんかんが削られるのです。それは、橋のかけらを持っていると病気がなおり、子どもが夜泣きしないというので、遠くからも削りに来るためでした。
昔、増瑞寺(富永)のお地蔵さまを刻まれた行基という偉いお坊さんが、ここを通りかかりましたが橋がありません。雨が降るとみんながなんぎするというので、自分の手でリっぱな橋をかけ、お経を唱えたことから、光仏橋という名が付けられました。それ以来人々はたいへん有難く思い、お念仏を唱えてからこの橋を渡るようになったということです。
新城 文化財案内(新城市教育委員会発行)より引用 |