別名、稲生城(いのうじょう) とか形原陣屋Cとも云う。 平安時代の終り頃、清和源氏義光の孫であり、源義清(武田義清)の次男、方原二郎師光(源師光)によって築かれたと伝えられている。 その後、長享年間(1487年~1489年)に松平佐渡守与副(ともすけ)がここに移って城主となり、以後形原松平氏の居城となったが、永禄3年の桶狭間以後形原松平家広
は、松平元康(後の徳川家康)に従って各地に転戦し、慶長6年(1601年)ここにもどるが、元和5年(1619年)に6代目松平家信が摂津国(大阪府)高槻藩主として転封されたのを最後に廃城となる。
形原松平家の菩提寺は西浦町の 光忠寺 で、初代から5代までの墓がある。 |