西方古塁跡   豊川市御津町西方中屋敷54
天正18年(1590年)に吉田城主である池田輝政は牛久保、新城、田原、西方に陣屋を設け、ここ西方は家臣である森寺忠勝を配置して御津の支配にあたる。 慶長5年(1600)池田輝政の姫路転封に従い一時期空城となったが、慶長17年(1612年)松平忠利 が吉田藩主となると、弟の忠貞が入ってこの塁を守る。 やがて松平氏は江戸へ移るが、家老であった長沢太郎左衛門がこの地に留まり帰農した。 現在もその末裔の屋敷となって残っている。   昭和44年 (1969) 2月3日 市指定史跡
森寺忠勝の墓は、ここより東方のJAひまわり御津の横、忠勝寺 の中にある。
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