戸部新左衛門の墓  豊橋市柱九番町 橋良町共同墓地内
戸部新左衛門政直 は今川義元の娘婿で、尾張笠寺城(戸部城)の城主。 戸部城は今川氏の織田領最前線の城としての重要拠点だった。
弘治3年(1557年) 織田信長は政直の殺害を策略する。  政直の筆跡を真似て、今川を裏切り、織田に心を寄せたいという信長宛の手紙を書かせ、今川義元へ送った。 義元はこれを信じ、政直を駿府へ呼び寄せ、途中、「 駿府まで来るまでも無い」 と言って三河吉田に来た時に殺害。 遺骸を橋良村の龍拈寺領に埋葬した。墓は、橋良町共同墓地にある。
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【2014年04月03日更新 】

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(4)龍拈寺

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