渡辺崋山
学者として、画家として、また政治家として活躍した渡辺華山 は、寛政5年(1793年)江戸の田原藩上屋敷(現在の最高裁判所跡)で生まれる。 8歳から藩に仕え、13歳の頃から鷹見星皐や佐藤一斉、松崎慊堂らに学び、朱子学や陽明学をきわめた。
幼少の頃から画にも親しみ、すぐれたデッサン力をもとに、独特の描線と西洋画の遠近法などを取り入れ、多くの名作を世に送り出す。
40歳で藩の家老職に就いてからは、田原藩の繁栄に貢献。 「報民倉」を設け、天保の飢饉の時に1人も餓死者を出さなかったことは有名。 また一方では、高野長英 らと西洋事情を研究し、鎖国の非を「慎機論」で記したが、幕府の批評とされ、田原で蟄居を命ぜられ、藩に災いが及ぶのを恐れ自刃。享年49歳。
渡辺華山 田原藩  田原城 高野長英 東三河ゆかりの人   一つ前へ戻る   HOMEへ戻る

池ノ原公園 の崋山像

渡辺崋山は田原城三宅康直の家老

渡辺崋山幽居跡(池ノ原公園内)

崋山の遺徳をしのんで創建された崋山神社

城宝寺にある渡辺崋山と一族の墓

渡辺崋山父の生家 平山邸跡

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