大通寺山陣地跡・大通寺盃井戸 新城市長篠字大通寺山
長篠の戦いにおいて、武田勝頼 は 5月19日夜 医王寺山本陣 の軍議で決戦を決断し、諸将はそれぞれの陣地へ戻る。馬場信房 は決戦回避を主張して果たせなかった同志の将、内藤昌豊、山県昌景、土屋昌次 らを自分の陣所である大通山に同道してこの日の軍議を嘆き、このように事態になった上は、明日の戦いに一命を賭して戦うだけである。 共に武田信玄公に引き立てられ、勝頼公の今に至るまで戦場を疾駆したことは数えきれないが、幸い今日まで命を永らえた。けれども、明日の一戦は最後となるだろう・・・と、お互いに旧友を謝し、明日の奮闘を誓い、今生の別れとして泉の水をかわし合って訣別の盃として出陣して行った。その後このことから盃井戸と呼ばれている。            (説明板より引用)
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(14)大通寺盃井碑

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