野田城跡・野田城稲荷  新城市豊島字本城 15K
室町時代の永正5年(1508年)菅沼新八郎定則 が築城し、その後、子の 定村 、孫の 定盈(さだみつ)3代の居城となる。菅沼氏代々の墓碑は 泉龍院 にある。
野田城から流れる笛の音に誘われた 武田信玄 を火縄銃で狙撃したと伝わる場所が井戸の傍にあり、信玄が狙撃されたと云う場所は、すぐ西側の坂を下った所にある 法性寺 にある。
また、法性寺の山門は、野田城の門を移築したもので、その傍には、野田城戦死病没者慰霊供養塔 が建てられてある。
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【 2013年10月01日更新 】

(1) 二の丸入り口:写真をクリックすると拡大表示されます

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(5)野田城稲荷

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(12) 武田信玄を撃った鉄砲は宗堅寺にあるという

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(14)武田信玄が鉄砲で撃たれた場所は法性寺にある

(15)野田城戦病歿者慰霊供養搭は法性寺にある

(16)野田城主菅沼氏代々の墓碑は泉龍院 にある。

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